あなたは何名知ってますか?実はイーグルスにも在籍していた選手たち【野手編】
プロ野球12球団で最も歴史の浅い東北楽天ゴールデンイーグルス。
それでも2025年には創設20年という節目を迎えます。
設立当初は「寄せ集めチーム」として厳しい戦いが続いていましたが、野村克也元監督の育成と星野仙一元監督の勝負強さによって、何とか一度リーグ優勝と日本一は経験しています。
そんなイーグルスの歴史では様々な選手が在籍していました。
今回は他球団でプレーしていた印象の強い選手(※)が、実はイーグルスでもプレーしていた、という歴史を振り返ってみたいと思います。
あなたは何名の選手をイーグルス所属だったと知っていますか?
ぜひ、在籍時に観戦していた思い出や、グッズを持っているよ!という方はコメントで教えてください。
執筆にあたって調査してみた結果、編集長である私自身の率直な感想なども書いてみました。
※印象が強いというより、実際に活躍されたという表現の方が正しいですが、イーグルス在籍と比較するためにあえて「印象が強い」と書かせていただきます。
(掲載は氏名の五十音順)
目次
実はイーグルスにも在籍していた選手たち【野手編】
飯田 哲也(2005 – 2006)
飯田哲也氏といえば、圧倒的にヤクルトスワローズですね。
お恥ずかしい話ですが、私はイーグルスに在籍していたことを知りませんでした。
1989年の一軍初出場から16年間にわたってスワローズに在籍。
野村克也監督とともに西武ライオンズとの日本シリーズを戦ったことは、プロ野球史の中でも屈指の名勝負として知られています。
7度のゴールデングラブ賞受賞や盗塁王獲得など、走攻守にわたって高いレベルのパフォーマンスを披露していましたが、意外にも引退間際の2年間はイーグルスに在籍していました。
イーグルスへ移籍する前年わずか3試合の出場にとどまっていましたが、2005年の移籍1年目には54試合に出場して打率.331をマーク。
当時のチーム状況を考えれば貴重な戦力であり、なおかつ若手にとっても経験豊富な飯田氏の存在は大きかったと想像できます。
続く2006年は40試合に出場しますが、この年を最後に現役を引退。
引退後は古巣のスワローズでコーチに就任すると、その後はホークスでもコーチを歴任。
またイーグルスのユニフォーム姿をみたいものです。
岩村 明憲(2011 – 2012)
現在、東北・福島レッドホープスの球団代表兼監督であることからも、ご存じの方は多いでしょう。
こちらもヤクルトスワローズの印象が強い、岩村明憲氏は1998年の一軍初出場から2006年までスワローズで活躍。
2007年からメジャーリーグに移籍すると、2008年にはワールドシリーズ出場も果たします。
その後2011年に「メジャー帰り」の選手として、イーグルスに入団。
同年には松井稼頭央氏もメジャー帰りで入団していたため、大きな注目を集めていました。
しかし、残念ながらイーグルス1年目の2011年は77試合で打率.183、0本塁打と低迷。
スワローズ在籍時代にはシーズン最高44本塁打を放っていた実績を考えると、厳しい結果となりました。
続く2012年も26試合の出場にとどまり、同オフに戦力外通告を受け、翌年には古巣のスワローズに復帰。
現在も独立リーグで監督兼選手として現場でプレーしているようです。
イーグルス在籍時代は残念な結果に終わりましたが、松井稼頭央氏との「ダブルメジャー帰り」に期待した当時のワクワク感は記憶に残っています。
カツノリ(2005 – 2006)
イーグルス在籍時代の登録名「カツノリ」こと野村克則氏は、同じイーグルスのユニフォームでもコーチとしての印象が強いのではないでしょうか。
私自身もその印象でしたが、現役時代はスワローズ、タイガース、そして意外にも読売ジャイアンツに1年だけ在籍した後、最後の2年間をイーグルスでプレーしていました。
選手としては厳しい結果に終わりましたが、引退後はイーグルスをはじめスワローズやジャイアンツでコーチを歴任。
2022年からは阪神タイガースのコーチに就任し、今シーズンもファームで指導をしています。
選手として花開かずとも、指導者としてのキャリアが長くなっているのは何よりです。
栗原 健太(2016※)
まだ記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。
広島カープで活躍した栗原健太氏は、現役引退間際の1シーズンだけイーグルスに在籍していました。
とはいえ、残念ながら一軍での出場はなかったため、※を付けさせていただきました。
カープ在籍時代は2002年に一軍初出場をしてから12年間のうち、2008年にはシーズンフル出場を果たし、打率.332、23本塁打、103打点と右の強打者として活躍。
2009年にはWBC日本代表として、急遽ではありましたが選出されています。
東北・山形県出身という縁もあってか、引退前に「勝負の1年」としてイーグルスに加入するも、本来の打撃は披露できず。
そのまま引退となりましたが、引退後の3年間はイーグルスでコーチに就任。
2018年には一軍打撃コーチに就任しており、そこでイーグルスのユニフォームを見た方も多いかもしれませんね。
今シーズン(2023年)は千葉ロッテマリーンズの打撃コーチに就任しています。
ルイス・クルーズ(2017途中 – 終了)
千葉ロッテマリーンズで活躍した印象が強いルイス・クルーズ氏。
私自身の印象としては、マリーンズ時代の応援歌「ア~ニ~モ~ クルーズ~」が頭に残っています。
2年間マリーンズでプレーした後、2016年に読売ジャイアンツへ移籍。
翌年の2017年シーズン途中に金銭トレードにてイーグルスへ移籍しました。
マリーンズ時代のパンチ力に加えて二遊間が守れる。
当時主力選手が相次いで離脱していたイーグルスにとって、文字通り「即戦力」として期待されましたが、13試合の出場に終わり、退団しました。
小坂 誠(2009 – 2010)
守備の名手・小坂誠氏と言えば千葉ロッテマリーンズ。
プロ1年目の1997年から開幕一軍デビューを果たすと、シーズンフル出場の活躍で新人王を獲得。
56盗塁をマークするも、松井稼頭央氏が62盗塁という驚異的な記録を残して盗塁王の座は惜しくも獲得できず。
その後9年間マリーンズでプレーすると、2006年に読売ジャイアンツへ移籍。
そして2008年オフ、イーグルスにとって初の地元・宮城県出身選手として入団しました。
2009年は105試合に出場するも、翌年はケガの影響もあって7試合の出場にとどまり、現役引退となりました。
引退後はイーグルスでコーチとなり、その後はファイターズ、ジャイアンツのコーチを歴任。
2018年から現在に至るまで、古巣・千葉ロッテマリーンズのコーチを務めています。
余談ですが、今シーズンのマリーンズ首脳陣は吉井監督をはじめ福浦氏、黒木氏、村田修一氏、金子誠氏、サブロー氏、前述の栗原健太氏といったマリーンズOBや他球団で活躍した面々が集結していますね。
フェルナンド・セギノール(2008途中 – 2009)
日本ハムファイターズで活躍した印象が強いセギノール氏はメジャー→オリックス→メジャー→日ハム→楽天という経歴の持ち主。
日本人選手でも珍しい、スイッチヒッターの外国人選手として、イーグルス在籍時代も印象に残っている方が多いかもしれませんね。
私はちょうど、この時期の実況パワフルプロ野球をよくプレーしていたので、貴重な助っ人選手としてよく起用していました。
それはさておき、ファイターズ時代の4年間はいずれも100試合以上出場とレギュラーとして活躍。
その後いったんマイナーリーグに所属するも、2008年7月にイーグルスへ移籍。
シーズン途中での加入とあって39試合の出場にとどまるも、打率.324、13本塁打、40打点とチームに貢献。
続く2009年は更なる活躍を期待され、シーズン序盤はダルビッシュ有投手から本塁打を放つなどスタートダッシュを切るも、失速。
最終的に104試合出場するも、打率.253、14本塁打、54打点という成績は出場試合数からすれば前年から飛躍できず。
シーズン終了後に退団となりました。
「右から左から~」の応援歌が懐かしいです。
中村 武志(2005)
中村武志氏と言えば、中日ドラゴンズの正捕手として活躍したレジェンド的存在。
1987年の一軍初出場から15年間、ドラゴンズでプレー。
ドラゴンズでの最終シーズンとなった2001年も134試合に出場していましたが、同オフに当時横浜ベイスターズの正捕手だった谷繁元信氏をFAで獲得したことから、出場機会を求めて移籍を決断。
金銭トレードでベイスターズに移籍して谷繫氏と入れ替わる形になると、3シーズン横浜ベイスターズでプレー。
2004年オフに、当時新規参入となったイーグルスに無償トレードという形で入団。
まさにイーグルスが誕生した1年目の2005年、藤井彰人氏に次ぐ2番手捕手として64試合に出場。
西武ライオンズ戦では有銘兼久氏とのバッテリーで球団史上初の完封・完投勝利も果たしました。
残念ながら同オフに戦力外通告を受け、現役引退。
私自身、またお恥ずかしい話ですが、中村武志氏の在籍は知りませんでした。
長年活躍した選手でも、最後の最後まで出場機会を求め、イーグルスのユニフォームを着てくださったことに感謝します。
またまた余談ですが、私自身、シーズン初年度の2005年はまだイーグルスファンではなかったため、当時の試合映像をほとんど見たことがありません。
そういった意味で飯田氏、カツノリ氏そして中村武志氏の存在は全く記憶にありませんでした。
(単なる言い訳でございます…)
中村 紀洋(2009 – 2010)
独特のフォームと豪快なフルスイングで多くのファンを魅了した中村紀洋氏。
その知名度からイーグルスに在籍していたことを知っている方も多いことでしょう。
近鉄バファローズの「いてまえ打線」をけん引し、2001年には46本塁打、132打点という素晴らしい成績をマーク。
1992年の一軍初出場から13年間、近鉄バファローズでプレーすると、2005年にメジャーリーグへ挑戦。
残念ながら1年で日本に戻ってきますが、オリックス、中日ドラゴンズを経て2008年オフに自身2度目のFA権を行使。
イーグルスへの入団が決定しました。
イーグルスにとって球団史上初のFA移籍選手ということもあって大きな期待を受けていましたが、77試合の出場で2本塁打、26打点と持ち前の長打力は発揮できず。
翌年は129試合に出場して13本塁打、64打点と成績を上げるも、シーズン後半の不調や守備での精彩を欠くプレーが目立つなど課題もあり、同オフに戦力外通告となりました。
ウィリー・モー・ペーニャ(2015)
ソフトバンクホークスでの印象が強いペーニャ氏も1シーズンだけイーグルスに在籍。
来日1年目の2012年にホークスで21本塁打、76打点と活躍。
2014年にはオリックスに在籍して32本塁打、90打点をマークするも、同オフの残留交渉が決裂してイーグルスへの移籍が決定。
125試合に出場して17本塁打、40打点とまずますの成績を残すも、最終的に前年より成績を下げる結果となり、戦力外通告となりました。
もったいない感じもしますが、性格的に荒っぽいところもあったので、仕方なしでしょうか。
ジョン・ボウカー(2014途中 – 終了)
読売ジャイアンツでの印象が強いボウカー氏。
ジャイアンツの在籍も2012,13年の2シーズンのみでしたが、2013年は何と言ってもイーグルスが日本シリーズに出場。
ただでさえ豪華な打線の中で、手ごわい助っ人外国人選手として嫌な存在でした。
2013年オフにジャイアンツを退団すると、2014年シーズン途中、いろいろな意味で「伝説」となったケビン・ユーキリスに代わる助っ人外国人選手として加入しました。
65試合に出場して7本塁打、22打点とジャイアンツ時代ほどの活躍はできなかったものの、前年、日本一をかけた決戦に相対した選手の加入はインパクトがありました。
細川 亨(2017 – 2018)
最後は西武ライオンズとソフトバンクホークスで活躍した細川亨氏。
2002年の一軍初出場から9年間ライオンズで活躍すると、2010年オフにFA権を行使してホークスへ移籍。
ホークスでも6年間プレーすると、2016年オフにイーグルスへの移籍が決定しました。
東北・青森県出身という縁もあってか、当時の正捕手・嶋基宏氏をサポートする役割もあって心強い存在でした。
一軍での出場は2017年20試合、2018年2試合とわずかでしたが、その後はパ・リーグ4球団目となる千葉ロッテマリーンズへ移籍。
NPB通算19年間で4つのパ・リーグ球団を渡り歩きました。
まとめ
「他球団で活躍した印象が強い」だけあって、イーグルスでの在籍は晩年、引退間際、という共通点が多いようにも感じます。
とはいえ、プロ野球の歴史に残る名選手やレジェンドが、歴史の浅い東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍していた、ユニフォームを着ていた事実も、またかけがえのない歴史の1ページといえます。
次回は投手編ということで、私なりの基準にはなりますが、まとめていきたいと思います。
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