東北楽天ゴールデンイーグルスは2023年時点、現存するプロ野球球団の中で最も歴史が浅い球団。
その歴史は2004年からスタートしている。
目次
球団創設の背景
2004年のシーズン中、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併が公になり、いわゆる「プロ野球再編問題」によってパ・リーグの球団が1つ減ってしまうことから始まった。
この「プロ野球再編問題」について詳しくは書かないが、近鉄とオリックスは結果として周囲の意見や批判を押しのけ、合併することとなる。これによって日本のプロ野球球団が11球団となってしまうことを受け、プロ野球機構(NPB)と選手会が交渉。
最終的には選手会が求めていた「2リーグ制・12球団維持」で合意し、新規参入を受け入れることとなった。
そして新規参入にあたっては、かねてから近鉄買収に名乗りをあげ野球界への参入を狙っていたライブドアと、次ぐ二番手として楽天が競う形となり、経営の健全性などから楽天が加入を認められた。プロ野球チームの運営は株式会社楽天野球団(楽天株式会社の100%出資)。
これによって加盟申請していた宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団として、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生することになった。
なお、新球団である「東北楽天ゴールデンイーグルス」のチーム名が決まったのが10月22日であるのに対し、その前の10月13日に新チームの初代監督として田尾安志が就任すると発表されていた。
こうして11月2日、オーナー会議で参入が正式に承認され、プロ野球界としては1954年(高橋ユニオンズ)以来50年ぶりに新球団が誕生した。
チーム名の由来は東北地方の世界遺産・白神山地に棲息するイヌワシに因んでいる。
そのため、楽天イーグルスの選手を「犬鷲戦士」、二軍の若手選手を「若鷲」、球団公認応援団を「荒鷲連合会」、そして地元仙台以外に住んでいるファンを「関東鷲」「関西鷲」と呼ぶなど、チーム名に密接した愛称が浸透している。
分配ドラフト・ドラフト会議・補強にて選手を獲得
正式にパ・リーグの新球団として誕生した楽天イーグルスだが、当然ながら創設したその時点で在籍している選手がいない。
そのため、まずは近鉄とオリックスに在籍していた選手を、近鉄とオリックスが合併した「オリックス・バファローズ」と新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」で振り分ける分配ドラフトが行なわれた。
40選手が楽天イーグルスに入団し、福盛和男、高須洋介、礒部公一、牧田明久といった、のちの日本一、あるいは指導者として楽天イーグルスを支える選手たちが入団した。
また、その後のドラフト会議にも参加。
即戦力として明治大学の一場靖弘投手をはじめとした7選手を指名。
更に他球団からも補強を行ない、のちにチーム初の二冠王(打点王、本塁打王)となる山崎武司らを獲得した。
ちなみに、チームの絶対的なエースとなる岩隈久志投手は分配ドラフトの時点ではオリックスに指名されていたが、入団を拒否していたため金銭トレードという形で獲得している。
本拠地の決定と球場名称の変遷
チームの本拠地は県営宮城球場(当時・正式名称は宮城野原公園宮城球場)。
だが、老朽化が著しく、楽天の出資によって改修を行なうとともに、球場を所有する宮城県が球場の命名権売却を決めた。
その結果、楽天イーグルスの本拠地は「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」となった。
球場の名称は、その後以下のように変遷している。
2008年~2010年「クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」
2011年~2013年「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」
2014年~2016年「 楽天Koboスタジアム宮城(略称:コボスタ宮城→Koboスタ宮城)」
2017年「Koboパーク宮城(略称:Koboパーク)」
2018年~2019年「楽天生命パーク宮城」
また、楽天株式会社の子会社である楽天野球団は、プロ野球球団の中でも積極的なボールパーク化を推進。
メジャーリーグのような、よりエンターテインメント性のあふれる施設を目指し、2015年にはプロ野球の野球場として初めてとなる観覧車を設置するなど、日本に留まらずメジャーリーグでも例のない大胆な改修を次々に行なっている。
結果として初年度は「寄せ集め」だった
こうして2005年のシーズンからいよいよ本格的にチームとして始動した楽天イーグルス。
3月26日にパ・リーグ公式戦が開幕し、球団として初の一軍公式戦(対千葉ロッテ)を迎えた。
開幕投手には岩隈久志が選ばれ、見事に完投して球団の歴史的な1戦を勝利で飾った。まさに公式戦初試合での初勝利となった。
なお、事実上、球団創立以来一軍公式戦で1試合もしていない球団が、球団創立以来一軍公式戦で戦った経験のある球団を対戦相手に初戦を勝利したのは日本プロ野球史上初めてのことになる。
しかし、翌3月27日にはロッテ先発の渡辺俊介の前に抑え込まれ、投手陣も崩壊。
2リーグ制開始以降、最大得点差となる「0-26」という屈辱的な内容で公式戦初黒星となった。
結局、分配ドラフトやドラフト会議、その他の補強があったとはいえ「寄せ集め」チームであった印象は拭えず、38勝97敗1分(勝率.281)という屈辱的な結果で球団1年目のシーズンを終えた。
名将がチームの土台作りを
仕方ないと言えば仕方ないが、前年のチーム成績を受けて田尾監督は解任。
後任として南海やヤクルト、阪神などで監督を歴任した野村克也氏が新監督に就任した。
経験豊富な名将が長い時間を掛けてチームの土台作り、礎を築いてもらうべく、3年契約での就任となった。(結果として4年監督を務め、後に球団名誉監督にも就任した。)
最終的に2006年も最下位に終わるが、新加入したホセ・フェルナンデス、リック・ショートといった助っ人らの活躍もあり、47勝85敗4分(勝率.356)と若干の改善は見られた。
チームの飛躍を支えた絶対的エースの入団
来る2006年のドラフト会議。
楽天イーグルスは駒大苫小牧の田中将大を1巡目で指名。
日本ハム、オリックス、横浜ベイスターズと競合、抽選の結果・・・
見事に当たりクジを引き、交渉権を獲得!入団が決定した。
田中将大の活躍はもはや説明不要であるが、新人として初年度から二桁11勝をマークし、球団史上初の新人王に輝いている。
まさにルーキーイヤーからチームに無くてはならない存在となり、2013年には24勝という近代野球では驚異的な勝ち星をマーク。プロ野球ファンなら誰もが知る大記録となっている。
田中将大らの活躍もあり、2007年の最終成績は67勝75敗2分(勝率.472)の4位。楽天イーグルスは球団として初めて最下位を脱出した。
また、これまで一度もパ・リーグの5球団に対して勝ち越しがなかったが、この年はオリックスとソフトバンクに初めて勝ち越し。
球団として徐々に力を付けていると評価できる一年となった。
エース岩隈が奮起するも
2008年は4月に球団史上初の単独首位に浮上。交流戦では球団史上初の勝ち越し(13勝11敗0分)をするなど、いよいよチーム初のAクラス入りも視野に入ってきた。
しかし、7月以降は負け越しが続き、最終的には65勝76敗3分(勝率.461)の5位に終わってしまう。
とはいえ、この年はエース岩隈久志が21勝をマーク。実にチームの勝ち星の3割を稼ぎ出す活躍でパ・リーグMVP・沢村賞・ベストナイン(投手)に選出されるなど、チームにとっても名誉なタイトル獲得者を輩出した。
初めてのAクラス・CS進出
来たる2009年、投手・野手ともに着実に力を付け始めた楽天イーグルスは、ついにAクラス入りが確定。
念願のクライマックスシリーズ進出も決めた。
この年は岩隈、田中将大、永井の3投手が二桁勝利を挙げる活躍を見せ、文字通り先発三本柱がチームをけん引した。
2009年の最終成績は77勝66敗1分(勝率.538)の2位となり、シーズン初の勝ち越しを決めた年でもある。
そして、初めてのクライマックスシリーズ進出であり、なおかつ2位通過のため本拠地Kスタ宮城での開催となったクライマックスシリーズ第1ステージ。ソフトバンクと対戦して見事に連勝し、一気にファイナルステージ進出も決めた。
ファイナルステージは残念ながら日本ハムを相手に1勝4敗と敗れ、日本シリーズ進出は叶わなかった。
しかし、ここまで野村監督が築き上げてきたものは確実に実力となってチームに浸透しており、いよいよリーグ優勝、日本シリーズ進出も夢物語では無いと思わせてくれたことは間違いないでしょう。
暗黒時代その1
野村監督の契約任期満了に伴い、2010年は広島東洋カープの監督だったマーティ・ブラウン氏が就任した。
前年2位の期待から、この年もAクラス入りを期待するファンは多くいたが、蓋を開けてみれば負けが込み、4年ぶりの最下位転落となった。
当然、ブラウン監督は解任され、ファンの間でもこの年は暗黒時代だったと考える人も少なくないのでは。
再び名将を招き、立て直しへ
2011年、再び最下位からの飛躍を目指す楽天イーグルスは監督として星野仙一氏が就任。
野村克也氏に次ぐ優勝経験監督を監督に据え、再びチームの強化を図った。
星野監督就任1年目は66勝71敗7分(勝率.482)の5位となり、最下位は免れたものの満足のいく結果とは行かなかった。
とはいえ、2011年は東日本大震災が東北地方を襲った年でもある。
ここで深くは書かないが、ただのBクラス、5位とは違う、チームも選手も期するものがあった一年だったことは間違いない。
しかし、プロ野球選手、プロ野球チームに求められるのは結果である。
何としても力強いチームを作り、頂点に立って欲しいという想いは多くのファンがより一層強くなったのではないだろうか。
勝率5割・そして頂点へ
2012年はチームを支え続けた岩隈のメジャー移籍に始まったが、チームとしては奮闘を続けた。
最終成績は67勝67敗10分(勝率.500)の4位となり、3年ぶりにシーズン5割以上に浮上した。
そして来る2013年。
前年のオフには現役メジャーリーガーのアンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーの強力助っ人を獲得。
更にドラフトで2位指名した則本昂大投手を開幕戦で先発起用するなど、積極的に攻め続けた。もちろん、エース田中将大投手も着実に勝ち星を重ね続け、8月28日にはついに球団初の優勝へのマジックナンバー28が点灯した。
ここまで来れば、もう行くしかない。
9月に入って一度マジックナンバーは消滅するも、すぐに再点灯させ、9月22日には4年ぶり2度目となるクライマックスシリーズへの進出を確定させた。
そしてマジック2つを残して迎えた9月26日、マジック対象だった千葉ロッテが敗れ、イーグルスが勝利したことにより、球団史上初のパ・リーグ優勝を決めた!
結果的には球団創設9年目でのリーグ優勝となり、日本プロ野球史上5番目の速さでのリーグ優勝チームとなった。
「寄せ集め集団」「シーズン97敗」から始まった新球団は、その8年後にパ・リーグの頂点に立ったのだ。
その後もチームの勢いは衰えず、クライマックスシリーズファイナルステージでロッテを破って球団史上初の日本シリーズ進出を決めた。
そして、日本シリーズではセ・リーグの常勝軍団である読売巨人軍を対戦相手に迎えることとなる。
確かに、この年の楽天イーグルスは強かった。
田中将大投手が無敗でレギュラーシーズンを終え、ジョーンズ、マギーといった強力助っ人の活躍もあった。
青山、美馬、辛島、嶋、岡島、銀次、桝田、聖澤といった生え抜き選手の成長や、松井稼頭央、藤田、斎藤隆といった補強選手の活躍も忘れてはならない。
そうは言っても相手は日本シリーズ常連の巨人。監督も選手も大舞台での経験が豊富であり、恐らく多くのプロ野球ファンは巨人の日本一を予想したのではないだろうか。
思えば、当時の巨人のメンバーも豪華である。
投手陣には澤村、杉内、菅野、マシソン、内海、西村、山口と一流投手がズラリ。
野手陣では阿部慎之助、ロペス、坂本、村田、長野、谷、高橋由伸らを擁する。
初戦は楽天イーグルスの本拠地でスタート。東北地方初めてとなる日本シリーズ。
内海、則本の両先発で始まり、両投手が試合を作った日本シリーズらしい締まった試合となったが、結果として楽天イーグルスは9安打を放ちながら無得点に終わり、0-2で敗れる。
続く第2戦、イーグルスの先発は絶対的エースの田中将大投手。対する巨人も菅野智之投手が先発。
イーグルスは前日に続く9安打を放ち、2点を取ると、田中将大は最後までマウンドに立ち続け、3安打1失点で完投。
2-1で巨人に勝利し、日本シリーズ初勝利となった。
第3戦からは巨人の本拠地東京ドームへ移動。
イーグルスは美馬、巨人は杉内両投手が先発し、イーグルスは杉内を打ち崩して2回に4点を取る。
投げては先発美馬が6回途中まで巨人打線を無失点に抑える好投を見せ、5-1で勝利した。
第4戦ではイーグルスが初回にジョーンズの3ラン本塁打で幸先よく先制。
2回まで4-1と有利に試合を進めるが、中継ぎが踏ん張れず5-6で逆転負け。
2勝2敗、更に内容的にも互角の試合が続く2013年の日本シリーズ。
第5戦は辛島、内海の左腕同士による先発。
イーグルスは3回に2点を取って先制するも、巨人が7回、そして9回裏に1点加えて同点に。
今シリーズ初の延長戦へともつれ込んだが、10回表には先頭打者であった則本が四球で出塁に成功すると、銀次、ジョーンズの適時打で2点を加えた。
その裏は則本が試合を締め、楽天イーグルスは敵地でありながら2勝1敗と勝ち越して仙台へ戻る健闘を見せた。
いよいよ日本一へ王手がかかった第6戦、イーグルスの先発はレギュラーシーズン無敗の田中将大。
ゲームは2回裏に2点を先制し、日本一へ弾みを付けた。
しかし、このままでは終われない巨人は5回に3点、6回に1点を加えて2-4と逆転すると、先発菅野から山口、マシソンと繋いで逆転勝ち。
先発した田中将大は最後までマウンドを譲らず完投するも、12安打4失点で敗戦した。
イーグルスとしては、やはり前日の田中将大を擁しての敗戦にショックが大きく、逆に巨人からすれば田中を攻略してタイに戻しただけに一気に決めたい試合であっただろう。
運命の第7戦、楽天イーグルスの先発は美馬、巨人の先発は杉内が登板した。
イーグルスは1回、2回、4回と小刻みに1点ずつ加え、試合を有利に進めると、先発美馬は6回まで投げて巨人打線を無失点に抑えた。
続く7、8回は新人ながら今シーズン大活躍の則本で必勝リレー。見事2回を無失点に抑えた。
そして迎えた9回表、その前の8回からブルペンには田中将大の姿があった。
前日、160球を投げて完投した絶対的エースが、この場面で再びマウンドに上がろうとしていた。
短期決戦とはいえ、前日に先発した投手が翌日連投すること自体珍しいが、更にこれだけの球数を投げた翌日ということもあり、登板するかどうかはファンの間でも話題になっていたが、ついにその時が来る。
3点リードの9回表、田中将大がマウンドに上がると、球場内は誰も味わったことがない空気に包まれる。
決して万全な状態ではない。
やはり疲れもあってか2安打を浴び、2死ながら一、三塁のピンチを招く。
しかし、最後は気迫とファンの応援が後押ししたのは言うまでもない。
代打矢野を三振に仕留めた。
ついに、球団史上初の日本シリーズ制覇、日本一に輝いた。
日本中が、そして東北が熱く熱く熱狂した1年となった。
天国から地獄へ
2014年、前年に神がかった活躍をした田中将大がメジャーへ移籍。
また、シーズン序盤では星野監督の体調不良などもあってか、前年優勝した勢いを見せることが出来なかった。
シーズン途中には星野監督に代わって佐藤義則投手コーチが監督代行を務め、最終的には当時二軍監督だった大久保博元が監督代行となった。
まるで田中将大の移籍によって魂を抜かれたかのように強い楽天イーグルスの姿は影を潜めてしまった。
ファンの期待とは裏腹に負け試合が続き、64勝80敗3分(勝率.444)の最下位に転落した。
前年優勝チームが最下位に転落する不名誉な記録は、奇しくも前年の日本ハムに続く形となった。
暗黒時代その2
まさに天国から地獄を味わった楽天イーグルスだが、2015年には前年二軍監督を務め、シーズン中も監督代行を務めた大久保博元をそのまま監督に就任させた。
この年にはアンドリュー・ジョーンズが退団したこともあり、新たにゼラス・ウィーラーを獲得している。
とはいえ、開幕からなかなか波に乗ることはできず、57勝83敗3分(勝率.407)で2年連続最下位となってしまった。
一方、主催試合のシーズン通算観客動員数は歴代最多の1,524,149人に到達。
ファンの期待は着実に高まっている中、チームの成績が伴わない状況に何としても終止符を打って欲しいという想いが募るばかりであった。
3人目の名将で立て直しを
2016年、近鉄や日本ハムで優勝経験のある梨田昌孝氏が監督に就任し、立て直しを図った。
手始めに戦力の補強として千葉ロッテからFA権を行使した今江敏晃を獲得。
また、後に打撃コーチとしてチームを支えることになる栗原健太を広島カープから獲得。
メキシカンリーグ二冠王のジャフェット・アマダーやMLB通算162本塁打の実績を誇るジョニー・ゴームズといった外国人選手も獲得した。
シーズンが開幕すると、前年のドラフトで獲得した茂木栄五郎やオコエ瑠偉といった若手を積極的に起用。
序盤は一時首位に立つ健闘を見せたが、嶋の故障やゴームズの不振(退団)、今江・銀次・松井稼頭央などの主力打者も故障や打撃不振などで結果を出すことができず、なかなかチームが嚙み合わない。
シーズン途中にはフェリックス・ペレス、カルロス・ペゲーロを球団初のキューバ出身選手として獲得。
しかし、チーム状況に大きな変化は起きず、最終成績は62勝78敗3分(勝率.443)の5位に終わった。
超攻撃野球でAクラス復帰
梨田監督就任2年目となった2017年はウィーラー・アマダー・ペゲーロの助っ人外国人選手が残留。
投手陣の助っ人としてフランク・ハーマンを獲得すると、更に西武からFA権を行使した岸孝之投手の獲得に成功した。
また、ドラフト会議では1位指名で横浜高校の藤平尚真投手を獲得するなど、10人中9人を投手で指名した。
シーズンが開幕すると、1番に茂木・2番にペゲーロを起用し「恐怖の1・2番」として各チームを脅かした。
更にウィーラー、アマダーも起用するなど小細工無しの超攻撃野球で打ち勝つ采配に打って出た。
投手陣もエース則本と共に2枚看板となった岸をはじめとした先発陣の強化、更に中継ぎ陣では新人ながら即戦力として獲得した森原、高梨、菅原が好投を見せて期待に応えた。
投打が嚙み合い、4年ぶりに前半戦を首位で折り返したイーグルスだが、交流戦の終盤から主力選手が相次いで戦線離脱。
8月に入って首位陥落となると、首位ソフトバンク、3位西武との3連戦が組まれた8月3週から5週の15試合では1勝13敗1分と大きく負け越し。
急激な失速はついに西武にも飲み込まれ、3位転落となった。
前半戦までの貯金があったため、何とかAクラス入りは確定したが、前半戦の勢いから2度目のリーグ優勝が現実味を帯びていただけに、後半戦の失速はチームにもファンにもショックが大きかった。
とはいえ、3位として臨んだクライマックスシリーズ第1ステージでは西武ライオンズを相手に初戦を落とすも、その後2連勝を飾ってファイナルステージ進出を決めた。
第1戦は則本、菊池雄星のエース対決だったが、結果的に則本は4回7失点で降板、対照的に菊池は9回まで投げて無失点の完封勝利で終わっただけに、誰もがこのまま西武が勝ち越すと思っていたのではないだろうか。
パ・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージにおいて、第1戦で敗れたチームがその後巻き返してファイナルステージへ進出した事例がなかったため、楽天イーグルスはパ・リーグ史上初の巻き返しによる突破を果たした。
ファイナルステージではソフトバンクを相手に第1戦、第2戦を塩見、辛島のいわゆる裏ローテーションで臨んだが、共に好投を見せた。
今シリーズでは台湾出身の宋家豪を秘密兵器にするなど、高梨、福山、ハーマン、松井裕樹といった中継ぎ陣の踏ん張りもあって連勝した。
第3戦以降は表のローテーションに戻るだけに、3位からの日本シリーズ進出へファンの期待は高まった。
しかし、第3戦は則本が7回まで投げるも5失点。最後は福山が決勝点を献上して敗れると、第4戦は岸が5回2失点と踏ん張るも、宋家豪が内川から痛恨の被弾。
3-4で惜敗すると、第5戦は4回までに6点を奪われ、最後はソフトバンクの底力を見せつけられた。
残念ではあるが、ようやくチームとしてコンスタントにAクラス争いができるようになってきたという感触を掴んだ一年だったと言える。
ホームで勝てず、監督交代へ
前年3位、CSでも健闘した楽天イーグルスは今シーズンもAクラス入りは堅いという予想が多かった。
しかし、2018年は年明けからチームにとってショッキングな出来事が起こる。
1月4日、チームの4代目監督であり、チーム初の日本一に導いた星野仙一(球団代表取締役副会長)が膵臓癌のため70歳で永眠した。
あまりにも当然のことで、楽天イーグルスのみならず、過去に指揮した中日ドラゴンズ、阪神タイガースの関係者やファン、そしてプロ野球界全体に衝撃が走る年明けとなった。
まさに星野仙一氏のためにも、より一層の結果が求められた楽天イーグルスだが、皆の想いとは裏腹に、投打が嚙み合わない。
4月の時点で借金は二桁を喫した。更に負の連鎖は続き、ついに6月16日の対阪神戦に敗れたことで借金20に到達。
これを受けて梨田監督は辞意を表明し、辞任が決定した。
翌日からは一軍ヘッドコーチ兼打撃コーチの平石洋介氏が監督代行に就任。
38歳での一軍監督代行就任は、歴代の一軍監督および代行経験者を含めても球団最年少の若い指揮官。若さだけでなくチームの生え抜き選手でもあり、球団創設初年度のドラフトで入団した生粋のイーグルスプレイヤーである。
平石監督代行が就任後は選手との距離が近いことでも話題となり、一時は最下位脱出、あるいはギリギリでのAクラス入りまで見えかかったこともあったが、結果としてシーズン終了まで最下位から脱出することはできなかった。
最終成績は58勝82敗3分(勝率.414)の最下位。特に本拠地での敗戦が顕著で、終わってみれば本拠地での成績は22勝50敗0分、過去最悪の負け越し28という散々な結果に終わった。
再びどん底に落ちたチームは、9月1日、ヤクルトやドジャースで活躍した石井一久氏が球団取締役ゼネラルマネージャー(GM)に就任。
更に監督代行だった平石氏を正式に2019年シーズンの監督に就任すると発表した。
今オフにはコーチ陣、選手も大幅にメスを入れた。
一軍コーチは5人が新たに加わり、特にこの年に現役引退したばかりの小谷野栄一氏が現役時代は在籍経験の無いイーグルスに加入したことは話題となった。
また、二軍のコーチングスタッフとしても同じく今シーズンで引退した後藤武敏氏を招へいするなど、まさに平石監督を筆頭とした「松坂世代」の入閣が決まっている。
その他にもヤクルトで活躍した伊藤智仁氏といった石井一久GMとパイプのある優秀な人材をコーチとして招聘し、平石監督を支えることになる。
選手としては異例の17名に戦力外を通告。(2018年10月30日時点)
中には日本一を経験する桝田慎太郎、球団初の盗塁王となった聖澤諒も含まれており、ファンに衝撃を与えた。
これも全ては強いチーム作りのため。
なかなか順位が安定しないだけに、2019年シーズンはまずAクラス入りを何としても確保したいところだ。
若き指揮官と主砲の加入
前年、監督代行としてシーズン途中から指揮をとった平石洋介が正式に監督に就任。
球団生え抜きOBとして初の監督就任となり、高校時代から持ち前のリーダーシップが期待された。
そして大きな注目となったのがオフシーズンのFA動向。
前年の打点王・西武ライオンズの浅村栄斗がFA宣言したことでソフトバンクやオリックスなど多くの球団が興味を示した。
イーグルスも得点力、決定力は大きな課題となっており、和製大砲は何としても獲得したい人材。
ここで手腕を発揮したのが昨年から就任した石井一久GM。
自身も西武ライオンズでの在籍経験をはじめ、FA移籍やメジャーリーグなど様々な経験を持つ。
金銭面もさることながら、チーム事情や地域性など多方面での交渉が行われたと推測され、その想いが通じた。
今江敏晃や岸孝之に次ぐ大物選手のFA移籍が実現し、打線に大きな厚みを増した。
38歳。若き指揮官のもと開幕ダッシュには成功。開幕11戦目で単独首位にたった。
5月8日のホークス戦では最大7点差からの逆転勝利。記憶に残っているファンも多いだろう。
勢いそのままに、パ・リーグ首位で交流戦に突入。
6月15日のカープ戦では1試合7本塁打のチーム新記録を樹立するなど、課題だった得点力不足は浅村加入もあってか解消されつつあった。
交流戦は前年6勝1敗から10勝8敗と勝ち越しで終えることにも成功した。
しかし、「シーズン後半に弱いイーグルス」が出始める。
交流戦の終盤からリーグ戦再開後の7月上旬まで10連敗。
その後もシーズン序盤の勢いは衰え、前年の王者・西武ライオンズと常勝軍団・ソフトバンクホークスの猛追になすすべなく。最終的にはライオンズがリーグ連覇を決めた。
イーグルスは何とか貯金を守り3位Aクラス入りは死守。
クライマックスシリーズでは2位ホークスと対戦。
初戦を勝利するも連敗して敗退、シーズン終了となった。
その後、ホークスがポストシーズン10連勝で日本シリーズ3連覇を成し遂げたことでCSファーストステージ初戦を勝利したイーグルスが最後に黒星を付けた、というよく分からない自慢だけはできる結果となった。
若き指揮官のもと、開幕ダッシュに成功して優勝争いも期待された中ではあったが、何とかAクラス入りを死守したのはお見事。
次は球団史上初の2年連続Aクラス入りを目指す。
まさかの監督交代・補強強化もBクラス
事件は前年オフに起きた。
球団の生え抜きとして選手、コーチそして監督に登りつめた平石洋介氏。
監督として指揮した昨シーズンは課題もありつつ3位Aクラス入りを死守した。
しかし、石井一久GMをはじめとしたフロントの判断はまさかの監督交代。
もともと監督としては1年契約だったが、球団は監督ではなく二軍統括という新設の役職を打診。
結果として現場に残ることを希望したと推測される平石氏はイーグルスを退団。後にホークスやライオンズでコーチに就任する。
貴重な生え抜きOBとしてチームを支えた平石氏の退団はファンに大きなショックを与えた。
代わって監督に就任したのは二軍監督だった三木肇氏。
鉄平、小山、塩川ら球団OBが一軍コーチに昇格し、チーム最年長選手の渡辺直人を球団史上初の選手兼任コーチ(内野手兼一軍打撃コーチ)へ起用するなど比較的若手の人材が首脳陣となった。
また石井一久GM主導の元、選手補強も強化。
特にロッテとの移籍が目立ち、FA権行使を表明した鈴木大地の獲得に成功。
対してマリーンズへのFA移籍が決定した美馬の人的補償として酒居を獲得すると、金銭トレードにて涌井秀章を獲得。
更にパドレス所属の牧田和久やドジャース所属だったシャギワといった中継ぎ陣も獲得。またキャンプ中にはバファローズを自由契約となっていたステフェン・ロメロも獲得するなど、幅広いポジションでの補強を行なった。
イーグルスにとって、またしても悲報が届く。
2月11日、第2代監督および名誉監督を務めた野村克也氏が虚血性心不全によって死去。84歳だった。
星野仙一氏に続く名将の訃報に多くの関係者やファンが悲しみに暮れたのは言うまでもない。
何としても優勝を。
しかし、更なる試練が球団、プロ野球界、日本中を襲う。
新型コロナウイルスだ。
3月20日に予定されていたレギュラーシーズンの開幕は6月19日にまで延期。
何とか開幕にはこぎつけたが、プロ野球の1軍公式戦としては異例の無観客試合が続く。
厳しい状況の中でも奮闘をみせるが、投手陣では先発に再転向した松井裕樹が不振。
新加入のシャギワや開幕から守護神を任された森原も不振。
一方で、新加入した涌井秀章が奮闘してシーズン初登板からの先発8連勝を含む2ケタ勝利をマーク。
史上初のパ・リーグ3球団での2ケタ勝利、更にはホークスの千賀、石川と並ぶ11勝をマークして同じく史上初のパ・リーグ3球団での最多勝を獲得。カムバックした。
他にも鈴木大地はリーグ5位の打率.295、ロメロは24本塁打、牧田和久は52試合登板と新加入した選手たちが活躍。
一定の補強成果は得られたと感じられたものの、チームとしては再びシーズン終盤で失速。
55勝57敗8分と負け越し、4位Bクラスでフィニッシュした。
最終手段・球団初の全権監督で何とかÅクラス
石井一久GM主導の元、積極的な補強でチーム強化を図ってきたが、最後は踏ん張れずBクラスに終わった前年。
オフには三木肇監督を再び1年で交代、二軍監督に再配置した。
そして、二年続けての単年交代となった一軍監督には石井一久氏がGMを兼任しながらの就任が決定した。
石井一久GM兼監督が誕生。諸刃の剣、最終手段ともいえる、いわば「全権監督」となった。
監督はおろかコーチとしても指導者経験のない石井一久氏がどこまでやれるのか。そんな不安を補うかのように周りのコーチ陣はそれなりに固めた。
補強面では近年ほど積極的なFA獲得や交換・金銭トレードは行なわれなかった。
一方、国内では大きな話題で持ちきりだった。
2013年のリーグ優勝・日本一に多大な貢献をして渡米した田中将大だ。
前年オフにニューヨーク・ヤンキースとの7年契約が満了。再契約やMLB他球団への移籍が濃厚と考えられていたが、新型コロナウイルスの影響もあってか、思いのほか交渉が難航。
MLBも新型コロナの影響が甚大で、各球団が例年ほどの収益を得られず資金面で余裕がなかったのだ。
また、田中将大自身も恐らくいつまで続くか分からない新型コロナウイルスの影響下においてアメリカで生活、プレーするより一度日本に戻った方が得策ではないか、という想いがあったのかもしれない。
こうなれば石井一久GMをはじめ、イーグルスが黙っているわけにはいかない。
当初は他球団の動向も注視されたが、終盤では「日本復帰ならイーグルス」という雰囲気に。
そして1月28日、ついに田中将大が8年振りとなる日本球界、東北楽天ゴールデンイーグルスへの復帰が決定した。
様々な要素を考慮しての2年契約。「準永久欠番」として扱ってきた背番号18の着用も発表された。
2013年「無敗」だった印象が強すぎたため過度な期待をする声がある一方、7年も活躍したメジャーとの違いや重ねた年齢など、当時ほどの絶対視は危険と慎重な声も上がった。
とはいえ、もし新型コロナがなければ恐らくメジャーに居続けたであろう「バリバリのメジャーリーガー」が日本球界に復帰するとあって注目されないわけがない。チームの士気も上がったことだろう。
しかし、世間的にまだまだ新型コロナウイルスの影響が続いている。
シーズンは予定通り3月から開幕したが、引き続き多くの制限が敷かれるシーズンとなった。
田中将大の復帰で期待が高まる一方、自身の復帰後初の公式戦登板は右足ヒラメ筋の損傷によって回避。
新外国人のディクソン、カスティーヨの合流も4月中旬まで遅れるなど、歯がゆい状況が続いた。
それでもチームは前年ドラフト会議で1位指名・獲得に成功した早川隆久がプロ初登板で初勝利をマークしたのを皮切りにパ・リーグ上位争い。
2019年以来、2年振りに復活したセ・パ交流戦でも終盤まで優勝争いに加わるなど好調を維持していた。交流戦の最終順位は6位で終わったが、パ・リーグ首位は維持。
球団の新人投手としては初めて、早川が一軍公式戦6連勝を達成した。
しかし、もはや毎年恒例にもなりつつある「序盤に強いイーグルス」「終盤に弱いイーグルス」が浮き彫りに。
今シーズンは東京五輪開催によるレギュラーシーズン中断や新型コロナワクチン接種に伴う体調不良、あるいは陽性による登録抹消など異例だったことは間違いないが、それは全球団同じ条件。
昨シーズンとは違った形で新型コロナに翻弄されたが、いずれにしても優勝争いから徐々に脱落。
「勝ちながら育てる」を合言葉に若手の起用も積極的に行なってきた石井一久”監督”だったが、松井裕樹の離脱や前年15勝8敗と大きく勝ち越したマリーンズ相手に今シーズン9勝15敗と大きく負け越し。
さらには前年最下位だったバファローズが猛追。山本由伸の活躍もあり、見事にリーグ優勝。
イーグルスは何とか貯金を4つ残り、66勝62敗の3位・Aクラス入りは死守した。
今シーズンは常勝軍団だったホークスが久々のBクラス転落もあり、その辺りにも助けられたシーズンだったかもしれない。
クライマックスシリーズは2位・千葉ロッテマリーンズと対戦。
例年は得意傾向だったが今シーズンは大きく負け越しており、その傾向がそのまま反映された。
第1戦は終盤で追い付かれサヨナラ負けすると、第2戦は引き分け(コールドゲーム)により敗退。
優勝争いまで十分にできるだけの戦力は揃っていたと期待は大きかったが、Aクラス入りがやっと。
日本シリーズ進出は遠い夢で終わった。
信じられないBクラス転落の衝撃
前年に続き石井一久GM兼監督のもと、今年こそ悲願の優勝を。
戦力的に考えて、優勝は逃したとてAクラス入りは間違いないだろう。
まだ球団として2年連続Aクラスすら達成できてないチームだ。
ここから常勝軍団を築き上げていこうじゃないか。
そんな期待を持っていたファンが多かったのではないだろうか。
今オフも積極的な補強は行なわず、助っ人外国人としてマルモレホスとギッテンスを獲得。
さらにファイターズからノーテンダーFA扱いで退団した西川遥輝を獲得。また前年ホークスから戦力外通告を受けた川島慶三も獲得するなど底上げ的な補強には成功した。
先発投手陣は田中将大をはじめ則本昂大、岸孝之、涌井秀章の「累計通算538勝投手カルテット」。加えて前年活躍した若手の早川隆久、瀧中瞭太の6投手で豪華なローテーションを構築した。
中継ぎ陣も守護神に再復帰して安定感のある松井裕樹を軸にブセニッツ、宋家豪、酒居をはじめ、中継ぎで開花した安樂智大や育成から伸びてきた西口直人ら若手も揃った。
野手陣は引き続き浅村栄斗を軸に、生え抜きで前年打点王に輝いた島内宏明も頼もしくなった。
鈴木大地、炭谷銀仁朗、茂木栄五郎ら中堅どころに加えて西川遥輝の加入で厚みを増した。
若手も小深田大翔、山崎剛、辰己涼介らが揃いつつある。
これだけの戦力が揃ったのは近年のイーグルスをみても「頼もしい」の一言。
開幕前の順位予想ではイーグルスの優勝を予想する解説者も少なくなかった。
いざ開幕すると、予想外に活躍したのが新加入の西川遥輝。
開幕から打線をけん引し、長年の課題だった盗塁数も大幅にアップ。
繋ぎから長打まで頼もしい活躍をみせ、西川の成績とともにチームも上昇。
5月6日には球団史上最長となる8連勝をマーク。
さらに5月5日の時点で今シーズンのパ・リーグ最速となる20勝目に到達。
これは過去14度のうち10度が優勝、100%の確率でAクラス入りするデータであり、文字通りのスタートダッシュを決めた。
今シーズンも引き続き新型コロナウイルスの影響によって戦力の入れ替えには追われたが、一時は勝率8割をマークするなどの快進撃だった。
しかし、チームの連勝を11まで伸ばしてからは黄色信号。
特に西川の不振とともにチームも成績を落とし、交流戦は何とか勝率5割をキープするのが精いっぱい。
先発投手陣では涌井が戦線離脱すると、則本、岸も勝ち星が伸びない。田中将大はリードをもらっても逆転されるなど前年の「援護が無かった」を理由にはできない負け方もあって大苦戦。さらに前年2ケタ勝利の瀧中と9勝の早川も苦戦。
5月には辛島航がローテーション入りするなど、豪華な先発ローテーションは早々に崩壊した。
打線は浅村栄斗と島内宏明が奮闘するも、なかなか後が続かない。
前述の通り盗塁数こそ飛躍的に伸びたが、投打がかみ合わない。
結局、5月の11連勝中には最大18にまで達していた貯金は8月11日に消滅。
プロ野球史上初の屈辱的な記録となってしまった。
ここまで低迷すると戻すことは困難。目線はもはや優勝争いから「何とかAクラス」へ。
唯一の望みは今シーズン、パ・リーグ自体が大混戦だったこと。
一時は4位まで優勝圏内にあり、前年王者のバファローズ、復活のホークス、そしてこちらも復活のライオンズとイーグルスが四つ巴で優勝を争った。
本来ならとっくに優勝争いから離脱してもおかしくない低迷具合だったが、他球団の兼ね合いでシーズン終盤まで楽しめたのが気休めだった。
最終的には終盤の上位チームとの直接対決で勝ち越せず、終わってみれば69勝71敗3分と負け越し。
球団史上初の2年連続Aクラスすら達成できず、4位Bクラスに終わった。
シーズン中は石井一久”監督”の采配に対する批判も強く、中でも最大貯金18が0になった衝撃から辞任を促す声も高まったが、結局のところ2023シーズンも続投が決定している。
一方、プロ野球界をみればパ・リーグはバファローズがホークスとの大接戦の末にリーグ連覇。
セ・リーグもスワローズが村上宗隆の圧倒的な打撃成績を中心に強さを見せてリーグ連覇。
クライマックスシリーズも両者が制し、日本シリーズは2年連続同じ顔合わせとなった。
こうした「優勝を経験したチーム」や「優勝するチーム」をみていると、イーグルスに足りないものが「見せない気持ちの部分」にあると痛感した。
先発投手陣の高齢化に伴う立て直しなど目先の課題もあるが、根っこの部分は「本気で優勝したいのか」という気持ちじゃなかろうか。
そういった意味で感情を出さない石井一久”監督”の良し悪しは何とも言えないが、いずれにしても来年こそAクラス入りは絶対。
さもなくば監督解任は必至だろう。
ぜひとも優勝経験のある監督を招へいして欲しいが、実現するかは来オフのお楽しみになりそうだ。